すみよしの手帖

生活となりわいと趣味の手帖を紐ときます。

ドイツMBA生の現地しごと事情 ~ドイツでフリーランスになる。~

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こんにちは、よしのです。
ブログやツイッターで公言してますが、フリーになりました。
フリーランスになってしばらく経ったので、「ドイツMBA生の現地就活事情」に顛末を記録しておこうと思います。
そしてもう就活はしてないので名前を「しごと事情」に改めました。まだ終章ではありません。

 

過去のエントリはこちら↓

 

コトの発端

話をちょっと遡ります。私はもともと日系の一部上場企業の事務屋でした。私が働いていた頃は従業員は4万人くらいで、海外に子会社が80社程度あった、そこそこ大きな製造業です。
典型的なサラリーマン。東京ほどではないですが、朝は座れないくらいに混み合った電車に揺られ、夏はジリジリと暑い中、駅から会社まで歩き、ドアツードアで1時間くらいの通勤を繰り返す毎日。
新入社員として入社して4年ほど経って、念願だった海外研修に申請するチャンスがやってきました。子供の頃アメリカに数年住んだ他は、海外に住むことはなく、ずっと日本から出たいと無条件に思っていました。そして意気揚々とドイツへ渡ります。
ドイツで働いていた現地法人は、買収に買収を重ねた会社で、バイエルンをベースにしたかなり国際的な環境でした。上司には日本人、ドイツ人はもちろん、スウェーデン人、カナダ人、メキシコ人、オランダ人などがいました。企業文化も様々なものが織り混ざっており、集団を統率するのは明らかに至難の業でした。
結果として3年半そこで働きましたが、リーダーシップってなんだろう、組織変革ってどうしたら上手く行くんだろう、とペーペー社員ながらモヤモヤが毎日のように頭をよぎりました。そして問題の多くは、私には「日系企業であること」、「大企業であること」に大きく関係してしまっているように見えたのです。

父が、サラリーマンで定年まで勤め上げた人だったので、私も入社したときは特に深い考えもなく、自分も定年まで働くんだろうと信じ込んでいました。
けれどドイツの全く文化の違う現地法人で働いたことはすでにある意味私にとっては転職で、日本でずっと働いていたら絶対に一緒に働けなかったであろう色々な人達と仕事をさせていただく機会に恵まれました。
今まで当然と思っていた働き方は場所が違えばそうでもないというショックもありました。まず、金曜は昼を過ぎたらオフィスに残っている人の方が少ないんじゃないかというくらいだし、会社によって違いはあるでしょうが2〜3年ごとの転職は、全く珍しくない。バケーションに対する意識は被用者、雇用者ともに高く、同僚が1ヶ月いないとか常に誰かがいないとかいう状況は普通でした。
あるとき、出張先で1人ご飯を食べながら、「こんなに素晴らしい経験をさせていただいて本当にありがたい」と会社に感謝する気持ちと同時に、「いやでも待てよ、ずっとこのままじゃ私、面白いと思えないかも。もっと色々な企業で、色々な働き方を見てみたい!」とズギャンと思い、何がなんでも転職しようと心に決めたのでした。

 

何がしたいんだろう?

その後、転職よりも先にMBAに通いたくなり、ドイツでMBAに通います。
まだまだあると思っていた学生タイムはあっという間に過ぎ、周囲では就職活動が盛んになっていきました。
せっかく転職するなら、本当に興味のあることに向き合いたいと思い、いきがいベン図などを用いて悩んでいたわけですが、自分が欲しいのは、地位なのか?お金なのか?やりがいなのか?得意を生かして認められることなのか?家族と一緒にいることなのか?優先順位は?そして、何が現実的なのか?など、本音と建前を自分の中でも正直、上手く整理できないような状態でした。
私が興味を持っていて、やりたかったことは、アートなり、インテリアなり、メディアなりだったのですが、ドイツという資格や職歴を重視する国で、ドイツ語もいっちょ前に話せない自分が、いきなり経験のない業界や職種に申し込んでも門前払いされるのは目に見えていました。し、実際何度も門前払いされました。
そうして、自分の欲しいものは手に入らないんだという認識が深まるうち、自然と防衛本能が働いたのか、振り返ると「やりたいこと」よりも、「できること」をするチャンスを探すようになっていたと思います。今までの仕事内容の延長線、日本語の能力がマストなポジション、達成したいことのハードルを、どんどん自分で下げていってしまいました。そして「自分の欲しいもの」でなく、「ヒトが欲しいもの」を代わりに縮尺としてしまっていました。
それでも、というか、だからこそ当然に、ともいうか、上手くは行きませんでした。本心からやりたいとも欲しいとも思っていないことを求めようとしても、上手くいかないのは不思議ではありません。

 

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諦めからの出発

生きて食べていくだけでもお金はかかります。このままでは生きていけなくなるなあという状況に至って、諦めが付きました。
私は何でもいいからとりあえず少しでもお金を稼ごうと思ったのです。そうしたらあら不思議、諦めた途端に、目の前が開けました(本当に)。
ネットを眺めながら、猫も杓子もフリーランスだなとか思っていたのが私の深層心理に働いたのかもしれませんし、MBAの間にクラウドワーキングの存在を知り、実際に発注してみたりした経験も私にヒントをくれたのだと思います。
具体的に言えば、ネットで英日翻訳の仕事をとるようになりました。むしろそれしかできることがありませんでした。特に業界が限定されないので、最初は政府系の書類の翻訳なんかもしましたし、種類を問わず仕事を請け負っていたところ、偶然にも字幕翻訳をやらせていただく機会があり、これがやりたかったことだ!と思うようになりました(実際、日本で会社員時代に映画の字幕翻訳に携わりたいという気持ちで通信制の字幕翻訳スクールに通っていました)。
日系大企業以外の組織で働いてみたいと思っていましたが、言って見ればそれは1人の組織でもいいのです。製造も営業も会計も戦略も自分でやるからこそ、MBAで学んだことを実践で勉強し直せるかもしれないと思いました。

この経験を通して、これまで欲しがっていたのは、本当は欲しくないものだったってことに気づきました。皆が欲しがるから何となく良く見えていた、というのは大いにあります。そして与えられた選択肢の中から選ぼうとしていたから、欲しいものが無くてモジモジしていたのです。
選択肢の中から選ぶのではなく、選択肢を作ればいいのでした。

企業に雇われて、誰かに「これ、やってもいいよ」と言われないといけないと思いこんでいましたが、そんなことはなかったのでした。

今も、「やれること」に縛られてはいるし、誰かに雇われて「これ、やってもいいよ」と言われてはいるのですが、自分の裁量が大きいからこそ、「やりたいこと」ににじり寄りやすいし、やり方次第では、より自由度を高くできる状況になりました。

 

素直のベクトル

自分の希望に素直になることが出発点なのではないかと思います。
そして、素直になったところでベクトルが定まったら、どんなにヨチヨチでもいいからとにかく歩き出してみることです。時間がかかってもゼロから進んだ分だけ、それが実績と経験になり、自信にもつながります。
今あるベクトルが、1年後、5年後、10年後の居場所を決めます。時間は有限だから、やりたくないことはできるだけやらないようにしたい。

転職は不安だ、やりたいことを仕事にしたいけどやり方が分からない、という人が仮にこれを読んでいるとしたら、多くの人が言うことですが、素直になってとにかく始めてみることをおすすめします。私にとっては、MBAに行ったことで少しは考える時間を取れたことが良かったのかなと思っています。

また、ドイツで働く道を模索している人には、独立・フリーランスという選択もあるよ、とお伝えします。もちろん給与水準はスキルや内容によりけりでいきなりウハウハ稼げるほど甘くはありませんし、組織に雇われるような安定はないですが。

この道をずっと歩いているか全く分からないけど、今景色を楽しみながら歩けていることは間違いありません。この先、脇道が面白そうだなとそっちを探検することになっても、それはこの道を歩いていたからできることだし、きっと楽しい景色がそこにもあるだろうと思えます。
というわけで、しばらくはこの道を楽しみます。

長文に最後までお付き合いくださった方、ありがとうございます。
それでは、ビスダン。

 

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