こんにちは、よしのです。
ミュンヘンは、1900年前後はパリと並ぶ芸術の都でした。その影響もあってか、市内にはたくさんの美術館があります。
折角多くの芸術品に触れられる距離にいるのだから、今後ちょっとずつこの辺を開拓して皆さんにお伝えしたいと思っています。
先日はミュンヘンのレンバッハハウス美術館に行きました。
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レンバッハハウス(Lembachhaus)基本情報
レンバッハハウス美術館は、ミュンヘン市立の美術館。
「青騎士(der Blaue Reiter)」と呼ばれる、ミュンヘンで活動した表現主義*的な画家達の多数の展示を見ることができる。
美術館の歴史は長く、最初にオープンしたのは1929年。旧フランツ・フォン・レンバッハ邸を増築して作られた。ナチス政権下で多大な損害を受けるも、戦後、「青騎士」のメンバーだったガブリエレ・ミュンターにより、自身や「青騎士」を率いたカンディンスキー、その他のメンバーの芸術家の作品が多数寄贈され、世界的な美術館となった。
「青騎士」達の作品以外にも、戦後の現代美術の展示もある。
* 芸術において見たものを見たまま表すのでなく感情を作品に反映させようとする主義。鮮やかな色彩やいびつな形態が特徴。
営業時間・定休日
- 火曜日 午前10時~午後8時
- 水曜日~日曜日 午前10時~午後6時
- 月曜日 定休
祝日は基本的に営業(詳細は公式HPを確認)
住所
Städtische Galerie im Lenbachhaus
Luisenstraße 33
D-80333 München
アクセス
地下鉄U2かU8で中央駅から1駅のKönigsplatzを降りてすぐ。
中央駅から歩いても10分強。
入館料
大人通常 €10 / 年間パス €20
割引価格 €5 / 年間パス €10
18歳未満 無料
学生、年金受給者、失業者やBBK、VdKなどの芸術・歴史組合に入っている人は証明により割引が受けられるほか、条件によっては無料になります(ここでも失業登録しなかったことを悔やむ…)。
HPによると、価格はオーディオガイド込み。
チケットはオンラインでも購入可能。
その他
ポストカードや書籍のほか、インテリアグッズ、アクセサリーなども購入できるミュージアムショップと、テラス席のあるレストランが併設されています。
私が行ったときは、日曜に絵画の体験コースを実施していました。
「青騎士」とは
分かりやすく言うと、1900年初頭にミュンヘンで活動していた美術同人誌を作るサークル。メンバーの多くは表現主義的。
カンディンスキーとフランツ・マルクが「青騎士」という名前の美術年刊誌の創刊を構想したが、第1次世界大戦が勃発し、カンディンスキーがロシアに戻ったこともあり、結局創刊号しか出なかった。
年刊誌の発行以外にもミュンヘンで2回の「青騎士」展を開催し、美術作品を展示している。第1回「青騎士」展にはアンリ・マティスやパブロ・ピカソも出品している。
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この美術館で見られる作品の主なアーティスト
ヴァシリー・カンディンスキー
抽象画家で美術理論家。ロシア生まれでフランスとドイツの国籍を持つ。
法律と政治を学んだ後、ドイツのミュンヘンで絵を勉強し、フランツ・マルクと「青騎士」を構想した。その後、ヴァイマルの美術・建築学校「バウハウス」で教官も務めた。
カンディンスキーは抽象画の代名詞と言える画家です。彼は対象を示唆するものをなくすことで見る者の創造性を解放しようとしました。後期の抽象画は絵を見ても何が描いてあるか全く分からないものが多いです。
画家を志したのは30歳を過ぎてからで、モネ、ゴッホ、マチスなどの影響を受けています。完全な抽象画に至る前はこれらの画家の影響を見て取ることのできる風景画なども描いていました。
フランツ・マルク
カンディンスキーと「青騎士」を構想したドイツの画家。動物を愛し、動物の画を多く描く。ゴッホに強い影響を受けた。第1次世界大戦で30代半ばにして命を落とす。
ガブリエレ・ミュンター
「青騎士」のメンバーである女流画家。当時のカンディンスキーのパートナー。
ミュンヘンから南西のムルナウという村の彼女の家には多くのミュンヘン前衛画家が集まり、フランツ・マルクやアウグスト・マッケも住んでいた。
彼女は、大戦中「退廃芸術」として迫害されたカンディンスキーの大量の絵画を地下で隠し持ち、後にミュンヘン市に寄贈した。
パウル・クレー
スイスの画家、美術理論家。「青騎士」のメンバーだが、表現主義には属さない。
カンディンスキーと共にミュンヘンでフランツ・フォン・シュトゥックに習い、マルクの親友でもあった。
アウグスト・マッケ
ドイツの画家で「青騎士」のメンバー。セザンヌのほか、マルクやクレー、ロベール・ドローネーの影響を受ける。第1次世界大戦勃発により前線に送られ、27歳の若さで命を落とす。
肖像画家レンバッハの邸宅
レンバッハハウス美術館の名にもある「フランツ・フォン・レンバッハ」は、ミュンヘンで活動した肖像画家。1890年前後に建てられた彼の邸宅は、当時ミュンヘンで最も名のある建築家だったガブリエル・フォン・ザイドルが設計した。彼の邸宅部分は今も残され、レンバッハの作品や収集品が展示されている。
入館者には邸宅から臨める美しい中庭も開かれている。
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感想
充実の「青騎士」展示
「青騎士」メンバーの作品を一堂に見ることのできる贅沢な美術館です。
アーティストの作品を単体として見ることに加え、当時影響し合い、芸術理念を語り合ったグループとして考察することができます。ナチスに表現主義が迫害を受けた時代背景などを考えると貴重な歴史資料でもあります。
カンディンスキーの作品は展示数が多く、完全な抽象画になる前のものも展示されていて、作風の変遷を見ることができます。彼の抽象画は、「表現主義」というもののイメージを掴むうえでは勉強になりましたが、私個人的には難しく、何かを受け取るのが難しいです。創造性が足りないのかもしれません。
カンディンスキーとミュンターの絵のタッチは非常に似ており、お互いに影響し合っていたことが見て取れます。
フランツ・マルクの一連の動物の画は個人的にとても素敵だと思います。色彩豊かで対象への丁寧な愛情が感じられました。
この展示を見て、当時のナチスの「退廃芸術」という考え方にも触れることになりました。名前の付け方ひとつで芸術の見方は180度捻じ曲げられることになるんですね。
見る者に判断をゆだねる芸術の自由さが、与えられた考え方を口に押し込まれて貶められるための道具に使われてしまっていた時代をひどく恐ろしく感じます。そして、私たちの身近でも知らずしらずのうちに、そのようなことが起きているのではないかと思い起こされるのです。
芸術が、戦争に翻弄される様。この市立美術館には、反省を込めてこういった歴史を受け止め、伝えていきたいという現在のドイツの姿勢も表れていると思います。
ミュンターとカンディンスキー
この二人の関係性は、否応にも作品を見る目にストーリーを与えます。
ミュンターはカンディンスキーの恋人だったそうです。といっても、カンディンスキーは当時結婚していました。さらに、カンディンスキーは大戦が始まってロシアに戻り、別の女性と結婚してしまいます。描いた絵の多くをミュンターのところに置いていったカンディンスキーは代理人を通してミュンターに絵の返還を迫ったそうです。なんとも勝手な人物ですね、カンディンスキー。
ミュンターが描いたカンディンスキーとカンディンスキーが描いたミュンター
所持していたカンディンスキー作品たちを見て、ミュンターがいいことばかりを思い出したはずもありませんが、大戦中「退廃芸術」としてナチスに迫害されたカンディンスキーの絵画を守り続けたのは、画家としてのカンディンスキーをミュンターが尊敬していたからではないかと私は思います。
戦後に青騎士回顧展で代表を務めたり、市に作品の多くを寄贈した彼女の功績がなければ、ミュンヘンの貴重な芸術と歴史の記録に我々が触れられることもなかったでしょう。二人がボーデン湖やコッヘル湖でデッサンしていたかと思うと、感慨深いです。
カンディンスキーが描いたコッヘル湖の絵
近隣住民から「ロシア人の家」と呼ばれた彼女のムルナウの家は、現在ミュンターの記念館になっています。是非行ってみたい!
芸術は目に見ても美しいですが、作者の表現したいことを追ううちに、歴史や時代背景を知ることにもつながるんですよね。こうして、知識が横に縦に広がりを見せていく様子を掴むことができるのは、とても贅沢な時間だと思います。
今日はそんなところです。
ビスダン!
参考
Wikipedia:「青騎士」、「表現主義」、各芸術家のページ
レンバッハハウス公式ホームページ(http://www.lenbachhaus.de/visit/hours/?L=1)
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